千万町楽校について

千万町小学校から千万町楽校へ

豊かな自然に恵まれた千万町小学校

校歌の一節にあるように、緑の山々に囲まれ、清流乙川が流れる豊かな自然に恵まれた学舎・千万町小学校。

校歌は、行事のたびに全校児童と地域の人々によって歌われ、集会室や運動場には、元気な歌声が響き渡っていました。

校歌の二番にある「明るい心 よいことば 力いっぱい」は、千万町小学校の校訓です。

地域に支えられた学校

千万町小学校は、明治7(1874)年の開校以来、おらが村のおらが学校として、PTAや地域の人に支えられてきました。

その一つの事例が、昭和31(1956)年から昭和38(1963)年まで続けられたPTA保護者による学校給食のパン運びです。標高200メートルの宮崎から標高442メートルの千万町小学校まで、往復10キロの道のりを、パンの入った木箱を背負子(しょいこ)でしょって、千万町坂を登り降りして、当番の保護者が交代で運びました。

学校給食のパン運び

昔は弁当のおかずといえば梅干しか、大根づけか、削り粉にたまりをかけたものか、みそでした。

学校給食が始まり、みんなが喜んで食べるようになりました。千万町坂が急でパン運搬車が上れないので、保護者が交代で、宮崎まで千万町から受け取りに行き、雨の日も風の日もパンを背負子(しょいこ)でしょって、千万町坂を運んでくれました。

昭和31年~昭和38年1月まで続けられました。

やりぬく心を育む全校活動

千万町小学校の全校音楽は、昭和39(1964)年から始まりました。全校音楽は千万町小学校の伝統として脈々と受け継がれ、全校児童による心に響く演奏は、親子OB器楽合奏や音楽を通じての交流活動として広がっていきました。

また、子どもたちは入学とともに一輪車の練習に励みました。学区大運動会では、全校一輪車パレードを披露し、地域の人々の拍手喝采を浴びました。

心のふるさと千万町楽校へ

時代の流れの中で、平成21(2009)年度末にて、千万町小学校は、学校としての歴史に幕を閉じました。

宮崎小学校への統合後も、千万町小学校の跡地に、地域の人々が集い、笑顔と笑い声が学舎に響き合うことを願って努力を続けてきました。

平成22(2010)年3月6日の統合記念式典の日に、地域づくり組織「千万町・木下ふるさとづくり委員会」を立ち上げました。その発足宣言には次のように述べられています。

千万町小学校が、新しく「心のふるさと千万町楽校」として蘇り、地域再生の拠点として輝き続けていくことを願い、「千万町・木下ふるさとづくり委員会」の発足をここに宣言します。(発足宣言より)

千万町楽校はふるさとづくりの拠点

千万町町(ぜまんぢょうちょう)・木下町(きくだしちょう)は、愛知県岡崎市三河山間部の山里にある、戸数60数戸の小さな集落です。

千万町楽校とは、旧千万町小学校跡地を、「心のふるさと千万町楽校」として再出発した、千万町・木下(旧千万町小学校学区)のふるさとづくりの拠点です。

千万町楽校は、地域住民のコミュニティセンター、避難所、都市住民との交流の拠点として、千万町・木下の山里の宝を活かした、継続的な地域づくり活動に取り組んでいます。

千万町・木下ふるさとづくり委員会は、岡崎市より委託を受け、旧千万町小学校跡地の管理・運営をしています。

「じさんじょの会」は、平成14(2002)年に、自主的・自発的な組織として発足し、千万町茅葺屋敷を拠点に、棚田での昔ながらの農業体験や都市住民との交流活動など、地域づくり活動を展開してきました。千万町・木下ふるさとづくり委員会と連携し、千万町楽校を拠点に、協働して活動しています。


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